適応障害になった働き方
私は職場の働き方に合わずに適応障害となりました。
どんな働き方をしていたかを記していきたいと思います。
介護事業所で働いており
通常のスタッフであれば、早出、日勤、遅出、夜勤といった変則勤務の中で
- 介護が必要な方の食事・入浴・排泄に関わる介護
- 部屋やトイレ掃除、洗濯物をたたむ
- 介護の記録をする
ことを行います。それだけでもかなり重労働なのですが、当時の私には立場上仕事も増えており上記の仕事に加えて
- ご家族への連絡
- 後輩の育成
- 委員会(会社などでいうと会議のようなものだと思います。)
- 介護職員のマネジメント、勤務表作成
- ケアプランの作成など
ここで書ききれないほどの仕事があり早出、日勤、遅出で出勤すれば帰宅できるのは23時頃。早ければ、21時頃といった具合でした。
そんな中、新たな仕事が舞い込み夜中の3時に帰宅。
翌朝、出社前に涙が急に出てきて嗚咽。出社できなくなりました。
適応障害になるまでに
出社できなくなるまでに起きた様々な体調の変化や心情の変化がありました。
夜よく眠れない
長時間働き続けているため、頭も身体も疲れているはずです。疲労困憊の状態です。
通常なら疲れて眠れるはずです。
夜遅く家に帰って食事をとり入浴し、ベッドへ横になるのですが、寝つきが悪くなくなります。仕事のことが頭から離れないのです。性格によるものもあるのでしょう。真面目すぎるのでしょうか。眠たいということがなく、頭がさえています。一度ネタとしても、夢でうなされ起きてしまいます。上司に3時間叱責されたことがあるのですが、夢の中でも体験しました。
本当に夜眠れないことで次の日は頭が冴えず。それでも仕事をすることで普段ではありえないようなミスをするようなことがおおくありました。
耳鳴りがしだす
7時頃から夕方4時頃まで仕事をして働いた後に、残って仕事をしており、同僚からの話しかけられるとキーンと耳鳴りがして聞こえづらくなりました。
「ごめん、すこし聞き取りにくいしもう一回お願い。」と
頼み話しかけてもらうもやはり聞き取りにくかったのです。
実は、職場の同僚にも同じように耳鳴りがして病院に行ったところ過度なストレスがかかっていると言われ薬を飲んでいると言っていました。
同じような状況になっていたんですね。
私はそんな時でも「大丈夫、何とかなる」と思い、病院へは行きませんでした。
今思えば、その時に病院へ行っておけばよかったのにと思いますが、当時は病院へ行く時間がもったいないと思っていました。まさに社畜状態ですね。それほど、当たり前の判断が出来ていなかったのでしょう。
常にため息をつく
これは自覚症状がなかったのですが、仲の良い同僚や妻に言われていました。
「いつもため息ばかりついているよ?」「大丈夫?」
ため息の自覚症状がなかったんですね。
自覚症状がないこと自体が怖いですね。そんな精神状態でした。
自らを振り返ることが出来なかったんですね。
胸がチクチクと痛みだす
いつ頃からか胸が痛みだしました。
痛みの具合ですが、チクチクという時もあれば締め付けられるよな感じの時もありました。
3か月ほど続いたときに、さすがにおかしい。「心臓の病気かも?」と思い、総合病院で診察を受けました。すると「心臓はしっかりと動いています。まったく問題ありませんよ。」と言われました。
私とすれば「何が、原因なんやろ?」と思いながらもそのまま放置していました。
このころから本当は体が悲鳴を上げていたんでしょうね。
出社中に、事故ってしまえば仕事に行かなくて済むと思う
自分自身の性格の部分もあると思いますが、
どこかで事故ってしまえばいいのになんて思っていました。
それほど仕事に行くのが嫌だったんですね。
だけど、仕事を通して「同僚やサービス相手をほっとくわけにはいかない」「妻や子供たちの生活を守るためにも働かないと」と思い、踏ん張っていました。
ストレス解消のために
そんな仕事の仕方ではストレスがたまるのは仕方のないことです。ストレスの解消のためにやってきたことがいくつかありました。
- 入浴は浴槽にしっかりつかる。
- YouTubeで泣ける動画を見る。いわゆる涙活動ですかね。
- 家族と旅行に行く。
- 友人と飲みに行く。
様々な方法でストレスを解消しようと自分なりには取り組んではいました。
結局は、うまくはいかなかったんですけどね。
最後に
今振り返っても、恐ろしい働き方をしていたと思います。自分には合わなかったんでしょう。その結果適応障害という病気に。
自分自身の性格やストレスに対する弱さもあったんだと思います。
読んでいただいた方には、自分を大切にしてほしいと思います。
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